牛乳の賞味期限が半年[2009年1月 アルゼンチンなど]
結構前から気になっていたんですけど、アルゼンチンに限らずいろいろな国で、牛乳がお菓子や缶詰と同じように常温の普通の棚に並んでいます。
日本じゃありえないなぁ、とふと賞味期限を見たら、あれ!?半年!?
牛乳の賞味期限が半年であることに気づきました。
どんな防腐剤が入っているかちょっと不安だけど、まぁこっちの人はそれで健康なんだからきっと大丈夫でしょう。
日本とは違う食品管理方法・・・。
海外の食品の扱い方は、日本の感覚とはかけ離れているように感じます。
でも外国人は「日本ってなんでこんなに賞味期限が短いんだ!!」と思っているかもしれません。
車をぶつけても凹んでないから大丈夫[2009年1月 南米]
海外は日本に比べて運転が荒いです。というか日本が安全なのかな。何度もガシャン!!と車の接触を見かけました。
ですがそういった場面を見ていると、とりあえず双方の運転手が車から降りてきて、車の状態を見て・・・。
「ま、これくらいだから大丈夫」って感じですぐにバイバイして終わりです。
結構大きな音でぶつかっていたけど・・・。これでいいんだ・・・。
そういえばボコボコのタクシーが結構多いです。
日本じゃタクシーなんかにぶつけたら大変なのにね。
お茶セットを持ち歩く国[2009年1月 パラグアイ]
アルゼンチンやパラグアイではストローでお茶を飲む文化があります。
マテ茶というお茶なのですが、ちょっと日本のお茶に似ていて飲みやすいうえ、ビタミンがたっぷりなので野菜不足の旅人達もよく飲みます。
飲み方はグァンバという容器に、濾し器が付いているストローで。パラグアイに行くと、毎日暑いからか大きめの水筒とマテ茶セットを持ち歩く人をよく見かけました。
しばらく飲んでいるのを見ていると、水を入れては飲むを何度も何度も繰り返していて、ずっと飲んでいます。なんだかトイレがちかくなっちゃいそうですけどね。
出発前に西村雅彦を見た[2009年1月]
日本を出発する数日前、私達は東京駅の診療所に黄熱病の予防接種に行きました。
そこでジーンズにジャケット姿のお洒落なおっちゃんを発見。とてもお洒落だったので芸能人だ!!としばらく見ていたら「知っている顔だ、ガスターテンの!!あああ西村雅彦ー!!」と気付きました。(でも気づかないふり)
そして最初に私達が呼ばれ、予防接種を終えて支度していると「西村さ〜ん」と呼ばれて同じく黄熱病の予防接種を受けていました。
そのときは西村氏に旅のイメージがなかったので「何の撮影だろうね?アフリカ?南米?でもどうしてそんなところに彼は行くのかね。」と2人で話していましたが、それが分かりました。『赤道大紀行』の撮影の為だったんだ!南米を旅して、アフリカも行ったんだね。
一方的な出会いだけど、お互い旅をしているんだなぁ!と思ったらなぜかちょっと嬉しい気分になりました。
米はガスコンロで炊く[2009年2月]
日本に住んでいれば、スイッチ1つで美味しいご飯が炊けます。
でも安宿のキッチンに、炊飯器があるところなんて滅多にありません。だから普通の鍋に米を入れてガスコンロでぐつぐつと炊きます。
自炊の最初の方は、水が多すぎたり、逆に少なすぎたりしました。それと標高が高いとなかなか美味しいご飯を炊けません。
とはいえ、最近は「水はこんなもんだろ」って適当な感じでも、案外美味しいご飯が炊けるようになりました。
旅で学ぶことって本当に沢山あります。日本に帰ったら炊飯器は最後に買おうかな。
海外安全情報、高山病に注意[2009年2月]
この間NHKの外務省海外安全情報を観ていたら「ケニアで高山病注意」ですって。
高山病ってわざわざ海外安全情報で流すようなことじゃないですよねぇ。
そんなこと言ったら、日本の富士山だって危ないでしょう。
他にもその海外安全情報を観ていると「これってこの番組で流すべき?」というのが結構多いです。
たまに笑っちゃいます。
ボリビアは日本車だらけ[2009年2月 ボリビア]
ボリビアでは日本で使い古されたマイクロバスが外装そのまま現地人の足として使われています。
町を歩けば『○○幼稚園』『△△温泉 ○□旅館』などの日本車をしょっちゅう見かけます。
でもそのバスに乗ってみると、左ハンドル。中はばっちり現地仕様になっています。
でもなんで左ハンドルに変えるくらいの改造はするのに、ボディには一切手をつけないんでしょうか。どういうルートで日本から遥か遠いボリビアに来ているのか不思議だけど、日本で活躍が終わった車たちは遠いボリビアで第二の人生も頑張っているようです。
真っ黒な煙をあげて、ウォンウォン言いながら過酷な坂を上っていく元日本車を見ながらそう思いました。
手ぶらで南米を旅する23歳[2009年2月 ボリビア]
自転車で旅をしている人、ロバを連れて旅をしている人など世界にはいろいろな旅人がいます。
でもこの間会った旅人は本当にびっくりでした。
ポトシでウユニ行きのバスを待っていた時のこと。ふらりと現れ、日本人なので話していたらなんだか様子がおかしい。なんとその旅人は手ぶらでした。
■ざっと持っているもの一覧(全てポケットに入っている)
・カメラ ・歯ブラシ ・手ぬぐい ・ノート ・ボールペン ・薬少々 ・カード&パスポート ・トイレットペーパー
寒いパタゴニアもアンデスの山々も今着ている服で旅をして、洋服は夜洗って次の日に着る、を繰り返すのだそう。「乾かなかったら着ていれば乾く。」とのこと。
ノートには必要な地図と情報がぎっしりでした。
まるで「ちょっとコンビニに行ってきます。」くらい究極にスタイリッシュな恰好にビックリしました。会社に行くのだってカバンひとつくらい持つのに。これで南米を旅できるんだねぇ・・・。バックパッカーでもないからテブラーとでも言うのか?
とはいえ、二人合わせて65Kg近く持ち歩いている私達に比べ、65倍身軽に旅をしている彼を見て、「やっぱ荷物減らさなきゃなぁ・・・」と思いました。
ボリビアに海があったら[2009年2月 ボリビア]
ボリビアからチリへ来ると、あまりの違いにビックリしてしまいます。治安はもちろん、道や建物、それにチリ人とボリビア人がとにかく全然違います。どう違うかというと、国の豊かさがそのまま反映しているというか、教養のレベルがあまりにも違うというか・・・。
というのも、ボリビアは南米の中でも貧しい国。一方チリは南米でトップの教養レベルだそうです。
どうしてここまで違うのかというと、今から130年程前にチリ、ボリビア、ペルー間で戦争があり、ボリビアとペルーが戦争で負けたため、鉱山のある領地と海への出口がなくなってしまったのだそう。
以下ウキペディア参照
チリへ取られてしまったという領土は、現在チリを支えている鉱山がある場所。もしも戦争で負けてなかったら、鉱山で発展してもう少し豊かな国だったかもしれません。逆にチリもこんなに豊かな国じゃなかったかもね。
カラマのチュキカマタ鉱山で働く労働者の多くが、ボリビアの出稼ぎというのはなんとも切実な話です。
64Kgの荷物をどうするか [2009年2月 チリ]
旅を始めて1年3ヶ月経ちました。今私達にとってとても大きな問題が『荷物』。荷物が多すぎて移動が大変です。
旅を始めてから最初の半年間は「バックパッカーに物欲は敵!」といろいろなことに我慢していたのですが、グアテマラで可愛いお土産を買い始めたら旅がもっと楽しくなって、「やっぱ買いたいものは買わなきゃ旅は楽しくないねぇ。」と、もともと物欲志向が高い二人に火がついてしまいました。
気付けばマサは37Kg、私は27Kg二人合わせて64Kg。旅が楽しくなる代わりに、荷物が重いと移動が辛い。お互いマウスよりも重いものはもったことがないような貧弱日本人だったのに。
自業自得だとはいえ、まだ旅が続くのでちょっと考え直すことにしました。
まず、南米が終わったら多分極寒の地はないと思うので、フリース、ダウン、寝袋と着ない冬服などのかさばる物や不要なものを日本に送りマイナス10kg。10kg減っただけでも大分軽くなりましたが、他に重いものといえば、本と食料。私達はとにかく本(ガイドブックも含めて)だけでも5kgくらい持っていているので、本を読むスピードを上げ、それと自炊を続け食料を減らすことにしました。
と、努力に努力を重ねましたが・・・、それはある日サンチアゴの町を歩いていたときのこと。
お、なんか便利なカバンがあるじゃぁないかー。と見つけたのはガラガラバック。あのタイヤがついていて便利なヤツです。
私達はそのカバンを購入してしまいました。
結局のところ悪い癖は直っていないなぁ、とつくづく思いましたが、ただこれで移動が大分楽になったのできっとスピードアップするでしょう。するでしょうか。
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