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2008

遺跡より近い過去から始まったカンボジア

国/カンボジア【3カ国目】 滞在地/プノンペン【15ヶ所目】 ホテル情報

■プノンペン行きのバスでアクシデント

ホーチミンからプノンペンまで国際バスできました。

イミグレを通過しカンボジアに入国すると、時効警察のハチさん似の運転手がカンボジアの道をすごいスピードを出し始めました。
私たちはカンボジアの高床式住居や湿気帯を眺め、初めての風景を眺めながら「いよいよ、カンボジアだな」と思っていた矢先、バス内が突然悪臭になり、車内は騒然。まず2回ほど緊急停車となりました。

その後また超スピードで走り出したと思ったとたん、
「ガタン、ダダダダダダ!!!」
と後部座席の下からとても大きな音が鳴り3回目の緊急停車!
バス内は更に騒然となり、私も一体何が起こったか理解できませんでした。
そしてタイヤがバーストしたことが発覚。

乗客が外に出て人が少なくなったところで、いきなり残っていた外人に「スティーブン・タイヤー!!」と叫ばれ、何なんだ「スペアタイヤ」と言ったのか?なんてビックリしていると、ちょうどその時バスのTVでエアロスミスのライブビデオが。おおー!そーいうことね。なんとまあ陽気な外人さん。さすが世界のアメリカンジョークと感心しました。
その後みんなで外に出て近所の子供が魚を採っているのを見たりしながら、カンボジアの道のど真ん中でポツンととしばしの休憩タイムとなりました。
バーストしちゃうタイヤって・・・。運転って・・・。
ハチさん、スピード出し過ぎだって〜!一体何キロ出していたの!?
バスでアクシデント

《アユミ》

■プノンペンで休憩

プノンペン写真
会社を辞めてからベトナムまで、準備・飲み会・ビザに追われた観光と何だかんだで忙しく、よく考えるとのんびりしてなかったので、まだビザにも余裕のあるプノンペンでは観光しつつとてもゆっくりしました。
朝ゆっくり起きてボケっとする。それからブランチを食べに外出。 特に目的があるわけではないので、プラプラ散策しながら店を決める。食べ終わったらまたプラプラしながらホテルに戻って、TVを見たり本を読んだりHP作りをしたり、夕飯はお腹が空いてれば食べに行く。
何も予定のない時の日曜日のような生活をしてしまいました。でも今まで何だかんだ動いてたので旅の休暇といった感じでした。


プノンペンの町は、そこまで観光客が多いといった感じではなく、どちらかというと生活している人たちが多いかな?
カンボジアの観光のメインはアンコールワットなのでここは通り過ぎる人や多くても2・3日で移動していくみたいです。
夜も9時過ぎにはメイン通り以外は真っ暗。ところが最後に行ったリバーサイド付近は比較的新しいホテルやレストランが建ち並び、11時過ぎでも欧米人がレストランで飲んでいて、現地人もウロウロ。
「こっちの方が居心地いいじゃん」と思いました。

それと町歩きでワットプノンという観光名所に行った時、なんとゾウさんがいました。別に大好きという訳ではなかったのですが、いきなり現れたあの巨大な動物には、とてもうれしくなりテンションも上がりました。「わーい!ゾーさん、ゾーさん」てな具合に。
そして、その後少し離れたところでお茶をしてたら目の前の道をゾウさんが歩いてるではありませんか、すごい先ほどの象が仕事を終えてご帰宅の途中でした。
道路を闊歩する象はなんか不思議ですが、とりあえず感動でした。

プノンペン写真プノンペンの人はベトナムの人と比べるとなんかやわらかいというか、バイタク断ってもあきらめいいし舌打ちされないのはこちらとしてはありがたいかな。

それとカンボジアに入り気がついたのが、道端で売っているペットボトルやビンに入っている黄色い液体。
最初見た時は、ジュース?流行っているお茶?なんて思ってたのですがそれにしては売ってるとこが多過ぎ、謎。
後になって分かったのですが、それは格安ガソリンらしく「闇ガソリン」と呼ばれていて、なんか混ぜ物がしてあって故障の原因にもなってるらしい。あと密輸という噂も。ガススタのガゾリンは日本と大して変わらない価格なので、バイクをとことん乗り回すカンボジア人にとって大きな出費。そりゃーそこら中で売ってるわけだよね。
プノンペン写真

《マサヒロ》

■カンボジアの近い歴史

ポル・ポト時代の歴史・・・。
実は私、自分が生まれるほんの数年前に人口の約1/3の人たちが罪なき理由で殺されたこと、カンボジア中に埋められた地雷の理由など、詳しく知りませんでした。
ガイドブックを読むと、プノンペンにはポル・ポトの恐怖政治の痕跡がいくつかあるという。
なんとなく行きにくい・・・。でもガイドブックに載っているし、わざわざ素通りするべきでもないし・・・。私たちはその場所にどんな気持ちで訪れればよいのか分からず、マサと話し合って日本語ガイドをお願いすることにしました。

私たちがまず向かったのは『トゥールスレン博物館』
ここは約2万人もの人々が拷問され収容されていた場所なのですが、惨殺された様子の写真や殺された人々の顔写真の展示、拷問に使われた器具や拷問室は30年前の悪夢がまだそのまま残っていて、独房の床に残った血を見たときは今まで体験したことのないような寒気を感じました。ほんとにぞっとします。ここに収容された人々は農民だったとしても信じてもらえず拷問され、結局のところ何であろうとキリングフィールドで殺されたそうです。

ガイドのリンネイさんがポル・ポトの写真を指差してこう言いました。
「この人が悪い人よ。」
ガイドの人が「悪い人」と言う。
その時、カンボジア人の胸のうちをしっかりと聞いたような気持ちになりました。
聞くところによると、彼女のご家族も外国語ができたという理由で知識人として囚われ、殺されたという。
その頃、彼女はまだ3歳でプノンペンから離れた場所にいたので助かったらしいですが、このために親の顔は知らないと言っていました。ガイドで何度もここに来ているからかそれを淡々と説明していましたが、私はただ聞くことしかできず、何を話していいのか分からなくなってしまいました。

リンネイさんと展示された写真を見ていると、横にいたおじさんに話しかけられました。
なんと、その時に生き残ることができた人だという。確かに生き残った7人の写真に面影のある人が写っている!
リンネイさんもお会いしたのは初めてだったらしく、カンボジア語でいろいろ話していました。この博物館にときどき来て、当時の様子などを話しているのでしょうか。
リンネイさんもこの時初めてお会いしたらしく、カンボジア語でいろいろ話していました。
この収容所で唯一生存した奇跡の人物との出会い!ずしーんと重くなっていた気分がちょっと晴れました。

次に訪れたのは殺戮の現場となったキリングフィールド。
拷問された人々はトラックに載せられてここへ運ばれ殺されたそうです。
プノンペンから車で30分くらいの場所でただっぴろい平地には人が埋められたという穴がたくさんありました。
このキリングフィールドでは約9000の遺骨が発見されましたが、今もまだ土の中には人が埋まっているらしいです。
辺りには洋服が今も散らばっています。歯も落ちています。
骨が土からむき出しになっている場所もありました。
私たちは人が埋まっている土の上を、リンネイさんに続き歩きました。
そしてリンネイさんのガイドに続き、処刑場所になった場所や処刑によってついたキズだらけの大木を見ました。

・・・。
リンネイさんが「では車に戻りましょう。」と言ってくれるまで、さすがに2人とも話をするのを忘れていました。

プノンペン観光たった4時間の半日観光でしたが、さすがに衝撃が大きくて一時は涙腺が緩みました。でもリンネイさんと話していて、前向きな姿勢がとても印象に残りました。何よりも彼女のお陰で理解することができたし。 確かにカンボジアには貧富の差や孤児などの問題が数多くあるけれど、多くの人がこうして苦難を乗り越えているのでしょう。

そして今回初めて日本語ガイドを付けて思ったこと。
観光ガイドだけではなく、ちょっとした疑問も解決できるし得るものが多い! やはりここは素通りしてはいけない、と思ったらガイドを付けるべきだと思いました。
そして、遺跡や自然を見ることだけが観光ではなく、近い過去を知らずしてカンボジアを通り過ぎてはいけないと思いました。
あの場所を訪れて何ができるかわからないけど、今の私たちには事実を知ることが何よりも大切なことなんじゃないかな。
これからも旅は続くけれど、毎日新しいものを見て感動するばかりではないんだなと、心にそう記憶させて1日を終えました。



《アユミ》
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