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〜25
2008

ベトナム最終地点でベトナムを思う。

国/ベトナム【2カ国目】 滞在地/ホーチミン【14ヶ所目】 ホテル情報

ニャチャンから深夜バスで南下すること12時間。
ベトナムの商都ホーチミンに到着しました。ベトナムの最終地点です。
商都なだけあってとても活気に溢れ、道はバイクだらけです。

さて、北のハノイから南下し続けること約1ヶ月。いろいろなベトナムを見てきました。
どんな道でも渡れるようになりました。
ベトナム人の適当さにも慣れました。
パジャマで外を歩くおばちゃんも見慣れました。
ホーチミン写真
でも率直に言うと、噂どおりベトナムはボリが激しい!
後に『地球の歩き方』を読んで発覚したのですが、カンボジア領事館で取得したカンボジアビザ、領事館で取得したのにぼられてました。金額を調べていなかった私たちも悪いんですけど、領事館でボラレルなんて・・・。
2人で目を合わせて「やられたね・・・」って感じでした。
約束と違う金額だったり、知らん顔したり、そんなことがちりも積もってお疲れ気味のベトナムです。

《アユミ》

■ホーチミンの町並み

ホーチミン写真ホーチミンは排気ガスがひどいので、マスクをしてバイクを運転している女性が目立ちます。
道の両脇には木が悠々と生い茂っていて緑も多いのに、それでも空気はすこぶる悪い。

町では旧正月が近いので、いたる所で旧正月の飾りや、セレモニーの準備が始まっていました。
堂々と偽物ディズニーが飾られているので笑えます。
きっと悪気はないんだろうなぁ。

ホーチミン大聖堂、ホーチミン郵便局は、フランス統治時代に影響されていてヨーロッパ風。
もしもフランスではなく中国に統治されていたら、この町並みは全く違ったものになっているんだろうなぁ。
そしてベトナム語もアルファベットではなくて漢字かな。でもどうしてフランスに統治されていたのに旧正月を祝うのかな。フランスがベトナムを統治していたのはなんでだろう。
そんなことを思いながら町を歩き続けて数時間。
ホーチミン写真
今まで町に出るときに1度もバイクタクシー等を利用せず、ひたすら歩き続けていた私たち。
多い日は1日2万5千歩(1歩が0.5mだとしたら12.5km)以上歩いています。
ベトナムではとっても食べていたので良いエクササイズとなりましたが、さすがにホーチミンでは暑くなってきてもうバテバテ。
夕飯は冷たいビールとともに今日1日に乾杯〜!
ホーチミン

《アユミ》

■ホーチミンでの観光

ホーチミンでの観光は特に考えてなかったのですが、ここに来るまでに旅人から聞いていたクチトンネルとベトナム戦争博物館に行って来ました。
クチトンネルとは、ベトナム戦争時にベトナム軍が掘ったトンネルというか基地。総距離が200kmくらいあるらしく、最後までアメリカ軍も攻略できなかったというアリの巣のようなトンネル。
クチトンネルはツアーで見学しました。
思ってたより観光名所といった感じになっていて、ゲリラ戦を思わせる仕掛けを見学したり壊れた米軍戦車が置いてあったり。そして最後は実際にトンネルを歩くこともできました。トンネルは昔のベトナム人の体系に合わせているのか、米軍が入ってこれないようになっているのか分かりませんが、とにかく狭い、暗い、そして暑い!ツアー参加者が汗びっしょりになってトンネルを這ってました。ほんの10分くらいだと思うけどしゃがんだまんま歩くのはホントに辛かった。
クチトンネル写真
ここで一番ドキドキしたのがライフル銃の射撃体験(本物)。僕は初体験だったので(そりゃそうだ)少し緊張しちゃったりしながらも10発打たせても頂きました。エアガンとは違う衝撃にはビックリ!(そりゃそうだけど)。
本物の銃というのは、音はデカイし照準は合わないし1発20000Dもするしなんて迷惑な物なんだろうと思いました。

■戦争について

クチトンネルツアーに行く途中立ち寄ったベトナム雑貨の漆塗り工場。
始め仕事風景を感心しながら眺めてたのですが、気がつくと従業員に障害者が多いことに気がつきました。
これは枯葉剤だ!。
そう思った瞬間ここが戦争の現場なんだということを改めて思い知らせれました。中には手が曲がってる人や顔が変形してしまっている人、足がない人、歩けない人、明らかに体が大きく欧米人?とのハーフっぽい人もいました。
そしてそれを見学している欧米人。なんともいえない気分でした。

町や建物はきれいになり人も多く、笑顔で話しかけて来るけど実際少し前まで戦争があったということをここで改めて実感し、今更それを感じている自分が少し恥ずかしいというか情けないというかとても辛い気分になりました。
ガイドさんが明るく振舞って説明してくれていたのがせめてもの救いでした。

それからそんなことを考えながらベトナム戦争博物館へ
ここには戦争の写真が多く展示されていて、衝撃的な戦時中の写真から枯葉剤の影響を受けた人の写真、奇形で生まれホルマリン漬けになっている胎児の展示などあり、なんか胸の中をギュッと締め付けられるような気持ちになりました。

ここに来る前ベトナム戦争に関して何も知らないままでは良くないと思い、少し調べて勉強してきたつもりでいましたが、写真と文字なんかで見るものと肌感じるものとでは違うのだと思いました。
特に過去の写真とかではなく工場で働いていた、今生きている人達の印象は忘れられないと思います。
《マサヒロ》
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